ロッキード事件の裏に隠れたもう一つの大惨事

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ロッキード事件の裏に隠れたもう一つの大惨事

ロッキード事件と言えば日本最大の汚職事件です。日本の政界、日本とアメリカの信頼を揺るがせた大事件ですが、その一方で遠い国での大惨事にも間接的なつながりがあったことをご存じでしょうか?

ロッキード事件とは?

ロッキード事件とは、1970年代に発覚した、アメリカの航空機メーカーであるロッキード社が、日本の政界や官界に多額の賄賂を贈って、自社の旅客機「L-1011トライスター」の売り込みを行ったという汚職事件です。同社は、ライバル機のダグラス社の「DC-10」、ボーイング社の「ボーイング747」との激しい競争の中で日本だけではなく各国で賄賂を贈っていました。全日空では新たなジェット機を導入するにあたって意見が割れていましたがロッキード社の工作により「L-1011トライスター」が導入されました。
この事件は、当時の田中角栄首相や田中派の政治家、日本航空や全日空の幹部などが関与したことで大きな社会問題となりました。

事件の発端は、1976年2月にアメリカで行われた上院公聴会でした。ロッキード社の元会長が、日本に約25億円の賄賂を支払ったことを証言しました。そのうち約16億円は「田中首相」に渡したというものでした。これを受けて日本でも検察が捜査を開始し、田中角栄や田中派の政治家、コーディネーターと呼ばれる仲介者などが次々と逮捕されました。田中角栄は1976年7月に逮捕され、その後も裁判は長期化しました。最終的には1983年に最高裁で有罪判決が確定しましたが、執行猶予付きで実刑判決は免れました。

ロッキード事件は、日本の政治史上最大の汚職事件として記憶されています。この事件は、田中角栄の政治的影響力の衰退や自民党内の分裂、政治改革への世論の高まりなど、日本社会に大きな影響を与えました。また、国際的にも日米関係や日本の信頼性に傷をつけることとなりました。ロッキード事件は、日本の政治や経済に深刻な問題を浮き彫りにした事件でした。

キャンセルされた飛行機はどうなったの?

ダグラス社は全日空向けに「DC-10」を製造したものの、ロッキード事件の影響で全日空が「 L-1011 トライスター」を採用した結果「DC-10」はキャンセルされてしまいました。大型旅客機は在庫を抱えるだけでも大変コストがかかります。在庫となった機体の処置に困ったダグラス社は、破格の条件でトルコ航空に販売しました。
それが悲劇の始まりでした……

「DC-10」とは?

DC-10とは、アメリカのマクドネル・ダグラス社が開発したジェット旅客機です。1970年に初飛行し、1971年にアメリカン航空で運航を開始しました。約300席の座席数を持ち、アメリカ大陸横断や中距離国際線に適した機体でした。DC-10は、日本でも日本航空や日本エアシステムなどが導入しました。
DC-10の特徴は、左右の主翼下と垂直尾翼基部にエンジンを搭載していることです。この3発機のスタイルは、当時の双発機が洋上飛行するには制限があったため、安全性と低コストを両立させるために採用されました。また、高揚力装置や方向舵などにも工夫が凝らされていました。
ちなみに「L-1011トライスター」もエンジンの位置は違いますが同じ3発機のスタイルを採用しています。

さて、このDC-10もL-1011トライスター同様、激しい競争にさらされていました。大型ジェット旅客機の黎明期といっていいこの時代、一刻も早く覇権を握ることが重要だったのです。開発中、DC-10には貨物室ドアが完全にロックされていない状態でも、ロックされたように表示されるという問題がありました。しかし、技術的な問題が発生していたという報告がありながらも、問題点を改善することよりも予定通りにリリースすることを選択したのです。

起こるべくして起きた大惨事

1974年3月3日、トルコ航空981便は他社のストライキの影響でほぼ満席の状態でした。この981便は、全日空向けに生産され、そしてロッキード事件の影響でトルコ航空が購入したDC-10で運行されていました。
パリを離陸してロンドンへ向かった981便ですが、離陸から約10分後突如として貨物室ドアが吹き飛びました。その影響でまず機体に大きな穴が開き乗客が座席ごと吸い出されます。さらに、機体のコントロール系統が損傷したことで操縦不能となり、1分後パリ郊外のエルムノンヴィルの森に墜落しました。981便は英仏海峡を越えられなかったのです。
この事故は「トルコ航空DC-10パリ墜落事故」別名「エルムノンヴィル航空事故」と呼ばれています。この事故で乗員乗客346人全員が死亡し、当時史上最悪の航空機事故となりました。現在でも航空機事故の死亡者数では歴代4位となる数字です。犠牲者の中には48人の日本人や、イギリス人のオリンピックメダリストも含まれていました。

事故後の調査で貨物室ドアの設計に欠陥があったことが判明しました。この欠陥は開発途中から指摘されていたことです。しかも、以前にも似たような貨物ドア脱落事故が起こったにも関わらず、そのときは奇跡的に死者が出なかったため根本的な改修がなされませんでした。この事故をきっかけにDC-10の貨物ドアは改修され、以降は同様の事故は起こっていません。
しかし、教訓とするにはあまりにも大きな犠牲でした。

もし、ロッキード事件がなかったら?

あくまでIFの話ではありますが、ロッキード事件が起こらず全日空がDC-10を導入していれば、トルコ航空がDC-10を導入することはなかったかもしれません。DC-10はもともと貨物ドアに問題を抱えており、いずれは事故を起こしたであろうことは想像がつきます。時限爆弾を抱えていた状態にありました。トルコ航空がDC-10を導入しなければ「この事故」で亡くなった人たちは助かった可能性があります。そう考えると日本の汚職事件が遠く離れたトルコでの事故の遠因といえるのかもしれません。すべては可能性の話ですが、逆に全日空でこの機体を運用していた場合も同じような事故が起こりうることだったのかもしれません。
今回はロッキード事件とトルコ航空DC-10パリ墜落事故の関連について紹介しました。

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