世界最悪の航空機事故は?

事件・事故

1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故は「単独機事故としては史上最悪の事故」という表現をされています。では、世界最大の航空機事故とは一体どんな事故だったのでしょうか。

「テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故」

史上最悪の航空機事故は「テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故」で、別名「テネリフェの惨事」とも呼ばれています。テネリフェ島はカナリア諸島最大の島で、火山活動によって形成された美しい自然や歴史的な建造物などがあります。

1977年3月27日にスペイン領カナリア諸島テネリフェ島の空港で航空機事故が発生しました。この事故では、濃霧の中で滑走路上で2機のジャンボジェット機が衝突し、両機の乗客乗員644人のうち1機の乗員乗客が死亡、もう1機も多数の死者を出し583人が死亡しました。この人数は日本航空123便墜落事故の死亡者520人を上回り航空事故としては史上最悪のものとなりました。

この事故は1つの原因だけでなく様々な要因が重なって起こりました。

  • その日、近隣のグラン・カナリア空港がテロ予告で閉鎖されたため、多くの旅客機がテネリフェ空港にダイバートしていました。テネリフェ空港は小規模な空港でジャンボ機を何台も離着陸するには不向きな空港でしたが、リゾート地を訪れるためにやってきたたくさんの旅客機がテネリフェ空港に集まることになったのです。
  • 待機中にKLMオランダ航空4805便は給油を行っていました。給油に時間がかかっていたため、空港の閉鎖が解けたあともパンアメリカン航空1736便はKLMオランダ航空4805便の横を通り抜けることができず滑走路まで移動することができませんでした。
  • 管制官とパイロットのやりとりは英語で行われますが、母語が英語のパンアメリカン航空1736便と母語がスペイン語の管制官では微妙な言葉のニュアンスが伝わりませんでした。KLMオランダ航空4805が滑走路端の離陸位置に着いたあと、パンアメリカン航空1736便も滑走路上を移動して離陸位置へと移動することになりました。しかし、指示に誤解があり、また急に霧が濃くなってきて道を見失ったこともありパンアメリカン航空1736便は予定より長く滑走路を移動することになりました。
  • そんな中、通信の混線や早く離陸をしたかった焦りからかKLM4805便は管制官から離陸許可を得ていないにもかかわらず離陸を開始しました。
  • 濃霧により視界が悪く、KLMオランダ航空4805便もパンアメリカン航空1736も接近するまでお互いの姿を視認することができませんでした。

こうして、滑走路上で2機のジャンボ機が衝突することになったのです。例えば近くの空港にテロ予告がなかったら、急な濃霧がなかったら、大切な通信のときに混線がなかったら……本当に小さな不運が重なるようにして起きた事故でした。

事故後に得られた教訓

この事故を教訓として、航空業界では以下のような対策が講じられました。

  • 管制用語や無線通信のプロトコルを国際的に統一すること。曖昧な表現ではなく、ルールに沿った明確な表現とすること。
  • KLM4805便の機長はエースパイロットで強い権限を持っていました。そのため、上下関係がありコックピット内では誰もが機長の判断に従っていました。この事故のあとクルー・リソース・マネジメント(CRM)を強化することになりました。CRMとは適切なリーダーシップ、コミュニケーション能力、意思決定能力などのスキルであり、誰か1人の意見に頼るのではなくチーム全体のパフォーマンスを向上させることを目的としています。
  • 地上管制レーダーや衝突防止システム、自動従属監視放送などの技術的な装備を導入し、管制官がパイロットが自機や他機の位置や状況を把握できるように機材の改善を行いました。

今回は「テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故」を紹介しました。痛ましい事故ではありましたが過去の事故の教訓が活かされ、現在安心して飛行機に乗ることができるのですね。

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