マーガリンと小麦粉が引き起こした大惨事

事件・事故

マーガリンも小麦粉も私たちの身の回りに普通に存在するものですよね。しかし、そんなありふれたものが原因となって大惨事となった事故があるのです。一体何が起こったのでしょうか?

フランスとイタリアをつなぐモンブラントンネル

モンブラントンネルはイタリアとフランスを結ぶ全長11.6kmのトンネルです。1965年年に開通しました。モンブランというのはイタリアとフランスにまたがる山の名前でフランス語で「白い山」という意味を持ちます。栗を使ったケーキ「モンブラン」はこの山の形に似せて作ったことから名前が付いたそうです。

アルプスを横断する主要な輸送ルートの 1 つであり、イタリアは北ヨーロッパに輸送する貨物の 3分の 1ををこのトンネルに依存しています。

1000 °Cまで燃え上がったマーガリン

1999年3月24日の朝、小麦粉とマーガリンを積んだ大型トラックがモンブラントンネルの中で火災を起こしました。運転手は火災に気が付きトラックを停車させ、すぐに通報しました。しかし、トラックはすぐさま激しい炎に包まれ、数分で煙がトンネルを覆いました。
マーガリンは主にコーン油、大豆油などでできており植物油脂を多く含みます。食品の規格によると油脂含有率が80 %以上のものがマーガリンとされ、要は油の塊と言ってよいのです。このマーガリンの燃焼が被害を拡大させました。トラックの火が積み荷のマーガリンに燃えうつるとすぐさま激しく燃焼し始めました。また、小麦粉も可燃性の物質で
この火災は53時間燃え続け、推定温度は1000 °Cにまで達しました。その主な原因はトレーラーに積まれていたマーガリンで、調査でこれは23,000リットルの石油に相当する量だったと推定されています。トラック自体にも大量の燃料を積んでいたため、燃料爆発も起こりました。爆発により、可燃性の物質を積んでいたほかのトラックにも延焼しさらに燃え広がったのです。
火災でトンネル内の配線も燃えてしまい、照明も消えてしまいます。周辺の車は煙の充満した暗闇のトンネルで進むことも戻ることもできなくなり、火災に飲み込まれました。車両から脱出して逃げることのできた人たちもいましたが、その放棄された車両が行く手を阻み消防車両は火災現場へとたどり着くことができず消火活動を行うことができませんでした。

完全に鎮火するまで50 時間以上かかりました。車の中に閉じ込められた人が29名、徒歩で脱出しようとして死亡した人が9名、派遣された警備員1名の合計39名が犠牲になりました。火災が高温だったため、炭化した遺体も多かったのです。調査の結果、犠牲者のほとんどは最初に火災が発見されてから15分以内に死亡したことが判明しています。ここからもいかに激しい火災であったかがわかります。

事故後の対策

事故後、モンブラントンネルは大規模な改修工事が行われました。火災に焼け落ちた壁を修復した際に壁の耐火性は上がり、緊急用避難通路の設置、コンピュータ化された熱センサーが取り付けられ、さらに100mごとに合計116台の排煙装置を取り付けられるなどし、安全性が高まりました。また、イタリア側とフランス側で別々に存在したコントロールセンターの連携がうまく行われなったことも救助が難航した原因の一つでした。このことから、新たに中央コントロールセンターが設立されました。新しく設立された中央センターには、24時間体制の消防チームが配置されています。

今回はモンブラントンネル火災事故をご紹介しました。痛ましい事故ではありましたが、たくさんの教訓を残してくれた事故です。現在も主要な輸送ルートとして多くの人に利用されています。

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