火山に追われた先住民「アエタ族」

災害
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文明の広がった現在でも、昔ながらの伝統的な生活を続けている先住民族は各地に存在します。しかし、そういった先住民族の一つが火山の噴火のため故郷を追われ、もとの生活に戻れなくなった話をご存知でしょうか?

アエタ族とは?

アエタ族はフィリピンの先住民族です。詳細はまだ解明されていませんが、初めてフィリピン周辺に定住した民族であり何千年も前からフィリピン最大の島ルソン島に住んでいたと考えられています。アエタ族は主に移動焼畑農耕と狩猟採集で生活していました。フィリピンはその後スペインの侵略を受け植民地化されてしまいます。スペインに対して抵抗もしましたが、抵抗しきれず低地から山岳地帯へ逃れました。またそのとき、スペイン人からの迫害の他に疫病によって人口が減少しました。フィリピンだけに限らないことですが、植民地では直接的な攻撃よりヨーロッパの人々がもたらした疫病の方が死者が多いようですね。
その後、アエタ族はピナトゥボ山周辺に独自の村を形成して暮らしました。スペイン人と接触して生活がどんどん欧州の影響を受けたフィリピンの一般の人たちと違い、山岳地帯に住んでいた彼らは焼き畑農業など伝統的な暮らしを続けました。

ピナトゥボ火山の噴火

ピナトゥボ山は、フィリピンの一番大きな島にある火山です。1991年に20世紀最大の噴火を起こしました。その噴火は、地球の気候や環境に大きな影響を与えました。
ピナトゥボ火山の噴火は400年ぶりのことでしたが、その前兆から噴火が予期されていたため事前に多くの人が避難しました。しかし、それでも被害は甚大でした。火砕流や火山灰や火山泥流が周辺地域を襲い、多くの家屋や田畑やインフラが破壊されました。死者は約850人、被災者は約120万人に達しました。

噴火は、フィリピンだけではなく世界中にも影響を及ぼしました。大量の火山灰やガスが成層圏に達し、全球規模で気温が下がり、オゾン層も破壊されました。気温が下がった影響で作物も影響を受けました。日本でも1993年に記録的な冷夏となり米不足になるという事体が起こりました。この冷夏もピナトゥボ火山の影響ではないかと言われています。
噴火のすさまじさを物語るのがカルデラ湖です。噴火によって山の頂上が吹き飛び、900mも標高が低くなりました。その跡にできた穴に水が溜まって湖になりました。その穴は直径約2.5kmもあります。

災害の歴史 No.15 フィリピン ピナトゥボ火山噴火(1991年6月12日) – 一般社団法人災害防止研究所

アエタ族はどうなったの?

1991年の噴火は、アエタ族の生活を激変させました。火砕流や火山灰、火山泥流などでアエタ族の住んでいた多くの村や田畑が壊滅し、アエタ族は故郷を追われました。事前に避難勧告が出されていたため直接噴火の影響で亡くなった方は少なかったものの、その後の避難先で1000人以上が亡くなったとされています。主な死因は麻疹や肺炎などです。避難先の環境が劣悪であったこと、これまで低地の人たちと交流がなかったので免疫を持たなかったのが原因ではないかと言われています。

その後アエタ族はもとの村に戻ることができず、政府が低地に用意した「再定住地」に移り住むことを余儀なくされました。しかし、当然ながら以前の生活を続けることができませんでした。慣れない低地での生活になじめず危険な山に帰った人もいます。これまでのように自分たちの畑を持つのではなく、低地の農家に雇われて賃金労働者になった人もいます。他にも物乞いをするなどして生活する人までいて、多くの人が貧困状態にありました。自分たちの土地を持ち自給自足をしていた生活が激変してしまったのです。
また、平地の人々と姿の違うアエタ族は差別の対象にもなりました。それもアエタ族の人々を苦しめました。アエタ族は独自の宗教を信仰していますが、フィリピンではキリスト教が一般的です。また、アエタ族はそれまで低地の人たちと交流してこなかったので高等教育を受けていません。マニラで都会的な生活をしていた人々にとっては、市街地に「無知で、自分たちと違う」物乞いが増えることの方が問題だったのです。マニラでの物乞いは禁止されました。

苦難から歩き出す人々

しかし、現在のアエタ族は数々の苦難を乗り越えて存亡の危機から民族の新生へと歩み始めています。彼らは政府からは十分な支援を受けることはできませんでしたが、「火山に追われた先住民族」として注目を集めドイツや日本など多くのNGOなどの支援を受けました。
しかも、物資や資金援助を一方的に受けるだけではなく、NGOと協力してアエタ族の人々も積極的に自分たちの文化を守る活動を始めたのです。完全に元の地に戻ることは出来ませんが、NGOの協力のもとに、できるだけもとの農業に近い暮らしのできる場所を確保したり、生活のためのインフラを整えたり、学校を作ったりとさまざまなな活動を行っています。
また、先住民族として一部の土地の権利を法的に認められ正式に土地を確保できた場所もあります。これには法律や土地の利用者とのトラブルの末に得た権利です。支援を受け取るだけでなく、将来的に自分たちの暮らしを守るため自ら動いたのです。
彼らは低地に移り住んだあとも、それぞれの生き方を模索しながら自分たちのアイデンティティや価値観を守ろうとしているのです。

アエタ族はピナトゥボ山とともに生きてきた歴史を持つ民族です。彼らは火山の恵みと災厄に対応して、自然と調和した生活を送ってきました。1991年の噴火は彼らに大きな打撃を与えましたが、彼らはそれを乗り越えて、新しい時代に向けて前進しています。
私たちにも、いつ災害がやってくるかわかりません。ある日突然今までと生活が激変してしまう日がやってこないとも限りません。厳しい状況にありながらも新たな道を切り開く姿勢は、私たちも多くのことを学ぶことができます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A8%E3%82%BF%E6%97%8F
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%8A%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%9C%E5%B1%B1

存亡の危機から民族の新生へ : ピナトゥボ大噴火とアエタの生存戦略(<特集>現代の「狩猟採集民」)
J-STAGE
https://www.actilabo.info/shinbun50/?ssp=1&setlang=ja-JP&safesearch=moderate
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