火災被害が有名な関東大震災ですが、実は津波の被害も大きかったのをご存知ですか?今回は関東大震災で起きた津波被害に焦点を当ててご紹介します。
関東大震災とは?
関東大震災では、1923年9月1日に発生したマグニチュード7.9の大地震で、東京や神奈川などの関東地方を中心に甚大な被害をもたらしました。この地震により、約13万5千人が死亡しました。
東京で大きな被害があったため、関東大震災といえば東京のイメージが強いかもしれませんが震源地は相模湾北西部です。
津波の来襲
関東大震災は、地震だけでなく津波によっても多くの犠牲者や被害を出しました。震源は相模湾沖で、マグニチュードは7.9と推定されています。地震発生から約10分後には、相模湾沿岸に最大12メートルの津波が押し寄せました。
神奈川県内では、逗子市、鎌倉市、藤沢市などの湘南地域が津波の直撃を受けました。逗子市では、海岸から約300メートルまで浸水し、約200人が死亡しました。鎌倉市では、鎌倉駅や由比ヶ浜などに9メートルほどの津波が押し寄せました。季節は9月に入ったばかり、海岸には多くの海水浴客がいました。その海水浴客が何百人も流されたという記録があり、多数の死者が出ました。藤沢市では、江の島や片瀬海岸などで家屋が流されたり倒壊したりしました。
熱海市では、地震後5~6分で引き波となり、間もなく第1波が到達しました。さらに5~6分後に到来した第2波は12メートルの高さにまでなりました。しかし、その数百メートル離れたところでは津波の高さは1.5メートルほどだったといいます。場所によってかなり複雑な波の動きを見せていたことがわかります。
当時から熱海には旅館が多くあり多く被害にあいました。
伊東市では、第1波が約8メートル、第2波が約10メートルに達しました。漁船が内陸200メートルまで押し上げられたということなのでその威力の恐ろしさがわかりますね。
東京湾内では、津波の高さは相模湾沿岸ほどではありませんでしたが、干潮時だったこともあり、潮位が急激に変動しました。横浜市では、地震後約20分で最初の津波が到達し、約2メートルの高さで港湾施設や船舶に被害を与えました。東京市では、地震後約30分で最初の津波が到達し、約1メートルの高さで浅草や日本橋などで浸水しました。
このように関東大震災の津波被害は大きかったのですが、関東大震災ではそれ以外の火災などでの死者が多かったためか意外に津波の被害は知られていないのです。
津波の教訓
関東大震災の津波被害から得られた教訓は、現在の津波防災にも生かされています。例えば、津波の観測や予測、警報や避難指示、防波堤や高台などの防災施設、教育や訓練などの防災意識などが挙げられます。また、津波の観測技術なども向上しました。
しかし、関東大震災以降も、日本では多くの津波災害が発生しています。特に2011年の東日本大震災では、関東大震災を上回る規模の津波が発生しました。このことから、津波防災は決して完全ではなく、常に改善や更新が必要であることが分かります。
関東大震災から100年を迎える今年は、津波の恐ろしさと備えの重要さを改めて認識し、次世代に伝える機会としたいと思います。